久しぶりの更新ですが、粛々と社交ダンス、練習の日々が続いています。
初めてのワルツの時は、それまでまったく使ったことの無い様な足の、腰の、体幹の使い方を意識することに精一杯でステップなんぞまともに頭に入ってこない。
之は果たしてまともに踊れるようになるのか、と目の前が暗くなり途方にくれたことも有りました。学生達を見ていると「こいつら実はとんでもない事やっているんじゃないか」と今度顔を見たらビビッてまともに対応できなくなってしまったらどうしよう。何てことを考えてしまった物ですが。
それでも毎日家の地下にあるホールに繰り出し、地味なボックス練習やステップの復習を続けていくうちには、なんとなく自分の中で形になり始める物もあるのです。といってもまだ初めて数週間。動けるレベルとしたらフジツボのような現状ではありますが。
最初はステップの一歩を踏み出すのもいちいち立ち止まり、頭の中で整理しておぼつかない足取りで一歩一歩踏み出していたものです。人間の脳と体はつくづく大した物で、それでも日々少しづつ練習を重ねていく内に複雑な動作を脳と体が自動化して、スムーズに体が動くようになってくる。やっと最近曲を流しながら基本的なステップで何とかホールを一周出来るようになってきました。
元来、一つの事にのめり込んで黙々と何かを繰り返す行為は嫌いではありません。
高校生の頃は安価な宝石の原石をなけなしの小遣いで買ってきては、やすりとハンディドリルで黙々と削って形を整える行為に没頭していた、なんて時期もありました。普通の若者が恋に、スポーツに、勉強に勤しむ時期に手と鼻の穴を石の削り粉で真っ白にしながら綺羅綺羅と光る小石を削っていたのですからやはりちょっと変わっていたのだと思います。
冬を前にしてきんと冷え込むホールの中で一人、黙々とワルツのボックス練習を繰り返す。ただただリズムから外れないように、体の軸をぶらさないように、軸足の裏で床を掴むようにして片方の足を前に出す。つま先で体重をささえ、静かにライズする。ひたすら同じ行為の反復。しかしこういう単調な退屈な反復行為に何故か没頭できている自分がいるのです。
もしかすると、若く多感な季節の一部を、石を削るというおよそその年代においては非生産的な行為に取り付かれてしまった行為が、ここに来て意味を持つようになったのでは・・・定かではありませんが。
どんな行為であれ、何も物かに興味を持ち没頭できる時間というのは、やはり人生の肥やしになっているのかもしれません。そんなこんな、もう直ぐタンゴの練習が始まろうとしています。