いまでこそDQN(ドキュンネーム)やキラキラネームという単語が世間に知れ渡り、およそ常人には解読できないまるで暗号文のような名前や、一体どこの国の人ですか?と膝を突き合わせて問いただしたくなるような名前もそう珍しくなくなりました。
私の名前、表記に「美」という字が当てられております。これは二十数年前の日本、それも当時は少年ジャンプが一週間遅れて発売されるような田舎においてはかなり珍しい名前だったわけであります。(ちなみに私はXX染色体を持つ男性であります)これも今考えるとちょっとしたキラキラネームの走りではないか、そんな考えがふとした拍子に頭に浮かぶこともある訳で。
日本だけではなく、中東、西欧、ムー大陸。民族、宗教、地域を問わず古来から言葉には「言霊」が宿り、名はその与えられた形質に及ぼすと考える人々と文化圏が少なからず存在しています。
だからでしょうか、私も気がつくと色々と美しい物に心惹かれる事のおおい半生を歩んで来たと自認しています。
さて、社交ダンス、競技ダンス、ボールルームダンスと呼ばれる競技もまた「人体の美しさを極限まで競いあう競技である」という認識をいつの頃からか持ち始め、いつかは自分の体そのものを芸術品、もしくは極限まで研ぎ澄まされた一振りの日本刀のように磨き上げることに憧れ、崇拝、信仰のような物を持ち始めるのです。
ミケランジェロのダビデ像のような、ギリシアの太陽神アポロンのような、日本の守護神吉田○おりのような一部の隙もない肉体。
その肉体が人体工学的にも理に適った使い方を持って舞い、踊るのです。これに憧れ興奮せずしておられましょうか。
と、現状三十五歳歳相応にだぶつき始めた腰回りを見ない事にして、数年先の自分の姿にうっとりとするのです。
父親にダンスを教えてくれ、と申し出てしばらくは放置プレイの日々が続いていたのですが、ある日おもむろに父親が声を掛けてきます
「やらないか」
一瞬ビクッとし、頭の中に赤信号がシグナルを点灯させるのですが、直ぐに何のことがピンと来たのです。ついに始まるのか。と。
ちなみに私の父母は元プロのダンス講師でした。そして流れ流れてこの場所でダンスの宿を営んでいるのです。しかし
両親今の体型をどれだけ贔屓目に見ても、ウサイン・○ルトの足元に百匹のウサギをまとわりつかせ、50kgの重りを背負わせた状態で100m走を競わせても圧倒的大差で負けてしまう様な物。現役時代はスマートだったというのですが、どうにも信憑性をもてないのです。
そんな父親が果たして人体の美の極致であるダンスを教えることが出来るのか?そんな疑念をどうしても払拭できなかった事も記載しておきます。
初めのレッスンは、意外にもラテンの立ち方でした。基本的なステップと共に、どのように腰に体重をかけ背中のカーブを造り体を正しく使うのか。
正直、両足への体重移動を正確に行う行為さえまともに出来ず、ステップなどとても頭に入ってこない始末です。ここまでままならない物だったとは・・・
私自身、運動神経は小学生低学年の女子並みだろうと自認していたのですが、父親も予想外の覚えの悪さに若干驚きを隠せないようでした。
ボールルームを華麗に舞う舞踏の精への道は予想以上に険しいようです・・・