鉄の女性
長かった夏合宿シーズンも後、十八・十九日に、長男の息子のパントマイムのクラブの合宿で、最後に
なる、彼は、早大に入学した時に舞踏研究会に入る様に勧めたのだが、パントマイムのクラブに入って
時々頼まれて出る舞台に惹かれて、ミュウジカルダンサーに成ると、言って早大を止めてしまった。
如何して?、ダンサーを目指すなら如何して競技ダンサーじゃ無かったんだろう?
子供の頃からズート家で競技ダンス合宿を観て育ったのに残念!ミュウジカルダンサーになるぐらいなら、
家の仕事をしながら競技ダンサーを目指せば良いのに
十三日に獨協大学の舞研の合宿が終った。獨協大学の舞研の合宿には、一年で、一番再会を、
楽しみにしている人が来ます。その人は、学生でも歴代のOB、OGデモナク顧問の青柳先生です
先生は ”辛辣で厳しい苦言” を言いますが優しい人ですので、でも部員は其れ位ではメゲマセン
でも、私が再開を楽しみにしてるのはそんな事では有りません。実は青柳先生は“鉄の女性”なのです。
お話を聞くと今までに色々あって、手術に継ぐ手術の為、厳しい体調をこなし乍、毎日を過ごして
居る様ですが今でも担当医に、大腿骨を人工骨にしたら如何か?と、勧められているらしい、
女性にお年を聞いては失礼に当たると思い聞かないが、私より五歳・・・一回り?絶対に私より年長だと
思うのですが、実に意欲的で前向きでパワフルな女性です
大学で、ダンスのカルチャースクウルを開催したり、北京のオリンピックの初のダンス種目の参加の
日本選手の参加選考選手の、プロとアマチュアの間での調整とかの勢力的な動きを聞くたびに
厳しい体調を思うと、本当に“鉄の女性”(本当にボルトが入ってる)だと思い、感動します
だけど反面、内心ライバル視をして、絶対に負け無いで来年の夏合宿でも、再会の時にはきちんと、
練習をしていて“未だ踊ってます”と言うんだと心に決めて一年を過ごしますので、獨協の合宿
イコール青柳先生なのです。
一年掛りの再開の楽しみなのですが、今年は、合宿前にOBからの電話で今年は日程が
オリンピックの打ち合わせで北京に行く時と、重なり、合宿には参加しない事になっていると
知らされガッカリしていたのですが、北京には行かない事になり、合宿で数日間、先生のお顔を
見る事ができましたので、お互いに近況を話ながら、もう、ライバル心は燃えて、
来年も“未だ踊ってます”と絶対に“言うゾ”と心の中で決めました。
毎年そう思うのですから再会が楽しみな訳わかるでしょう。私の勝手なライバル視ですけど
練習をして、上手くなりたい動機だけでなく、踊り続けたいと、私の気持ちを、奮い立たせる
“鉄の女性”です。・・・・・・・・自分も本当に来年も踊っていられればいいのだけれど!。
今年愕然と、した事があった。前にもかいたが持病の腰痛の痛みが酷くなって我慢出来なくなって来て、
観てもらってるドクターに、坐骨神経痛を併発してるので、少し練習は考える様にいわれた。
でも、本当に厳しい時は、日常でも仕事が始まっても無理はしない様にと言われていた。
仕事が始まり合宿の朝・昼・晩の三食を用意するのに、一日中立ち仕事になったら、たった、
四十五日の間に三度も痛み止めの為に、座薬を使わなければならなかった、でも、それが恐い事に、
確かに使用すっると、痛みがやがて消えるのだ
、
本人は、痛みが消えたので何時もの様に練習をするのだが、体が全く反応しない、全然音に合わせられない、
痛みをブロックするのと同時に、神経伝達もブロックして、しまうらしく、意思どうりに体が、反応しない
(神経伝達をブロックするから、痛み止めなのだから、当り前?)
最初は、自分は何時もと同じに踊ってる積りだから、パートナーが動かないにだろうと、思ったのだが
二度目は、アレ!・・・三度目の時も・・・・痛み止めを、使う度に、全く体が反応しないので
”自分がオカシイ”とようやく気が付いた。
たった四十五日間で三回も踊れなくなって痛み止めを使用した、それも痛み止めの間隔が一度目より
二度目、二度目より三度目と使用する間隔が短くなって、踊れない期間が長くなってしまった。
こうして少しづつ踊れなくなって行くのかも知れない。 来年の今ごろは、少し不安
“鉄の女性”に来年も “まだ踊ってます”と絶対に言うゾ 再会を楽しみに