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前回の書き込みからかなり時間がたってしまったのは、引越しの準備に追われていたから。

ちなみに、畏れていた前回の文章が嫁の目に留まる、という恐ろしい事態に遭遇し、攻撃色の赤い目をした彼女をなだめ、青い目の通常状態に戻すのに時間が掛かってしまったのも有る。

誰がうどんじゃ、とぷくりと頬を膨らませるさまは、うどんはうどんでも力うどんだな、なんてことは口が裂けてもいえなかった。

12月、軽井沢にて感動の結婚式の後、早稲田にある仮の住まいからいよいよ木島平に移り住む時がやってきた。

考えて見ると18で上京してからこの年まで、およそ18年間新宿の、高田馬場、早稲田で過ごしていたことになる。

ちょうどの人生の半分を早稲田近隣に徘徊していたのだ。

早稲田学生でもないのに、一つ年上で早稲田理工学部の兄と同居していて気がついたら早稲田学生や出身者の知人が増え、僕の廻りの友人たちの殆どが早稲田関係者になってしまっていた。

 

東京での終の住家は値段ばかり高いウサギ小屋のようなマンスリーマンション。

これでこの町ともお別れかと考える。最後に鍵をしめ、ポストに鍵を放り込む。

嫁と手をつないで冬の町に一歩を踏み出す。

十八年間の思い出がフラッシュバックして涙の一つも毀れそうになるのかと身構えていたのだけれど、実際はそんな事もなく淡々と東京駅から新幹線に乗って飯山駅まで帰ってきてしまった。もともと淡白な性質なのもあるけれど、東京での生活は結構苦しい思い出のほうが多かったからなのかもしれない。むしろ足取りは軽いほうだったように思う。

今年は近年まれに見る雪の無い年の瀬。例年なら下りの交通機関はスキー道具を携えた人の波でごった返しの筈がそういった姿の旅行客の姿は殆ど見かけなかった。

それでも、新幹線から一歩出ると彼女の口からは「うわっ、寒い・・・」と呟く声が聞こえる。この時の気温はちょうど0度くらいだろうか。

彼女の実家の駒ヶ根は木島平よりは標高が高い。気温も3~4度くらいは低いのだ。降雪量はそれほどでもないけれど。

それでも都会での暮らしが長かったのか、すっかり寒さに対する耐性が失われてしまっているのだろうか。

それとも女性とは元来寒さに敏感な物なのだろうか。女性経験の乏しい僕からは判別つきにくい物では有る。

いずれにせよ、このくらいの寒さで根を上げていたらとてもじゃないが雪山の暮らしはやっていけない。

思わず「甘えるな、この文明的弱者め」と一括し、襟をかきあわせているダウンジャケットを毟り取って、寒空の下に放り出してやろうか、なんて考えも浮かんでくる。

が、そうすると、彼女も反撃にでて僕の一張羅のコートを剥ぎ取りに掛かってくるだろう。

このコートはもう十年も着ている年代物でもある。オークションで3000円で落札したブランド物。値段の割に作りも形もよく、気に入っていて耐久性も抜群なのだ。それだけにそんな不毛な争いで傷がつくのは避けたい。

ここは「大丈夫?」と優しい声をかけ、寒そうにしている手を握ってあげる。どうだ、優しい夫としては満点に近い対応だろう。

 

一度は覚悟を決めたとはいえ、それでも彼女もまだどこか不安や緊張は残っているのだ。これまでの生活とはかけ離れた状況に放り込まれるのだ。

自然環境も、仕事も住環境も。全く想像のつかない先行きにただでさえ心細い心情は鈍い僕でも察することが出来る。

じょじょに、じょじょに新しい環境になれていけるように最善を尽くしてサポートしてあげたいと思う。

 

そういえば、ハリネズミを飼うときはまず飼い主のにおいに慣らさせるためにマスターの着ていた衣類を寝床に敷いてやるといい、という事を以前勉強した。いちどき本格的にハリネズミを飼ってみたいと資料をあさっていたことがあったのだ。

なついてくるとやっとひっくり返っておなかを触らせてくれるらしい。なんともいじらしい小動物。

そういえば、彼女と初めて会ったときの印象も何だかハリネズミに似ていたな、といまさらになって思い出して見る。