年頭の計画及び抱負(三つの懺悔は年始めなので、この次にします)
今年も昨年に続き自分なりのダンスが踊れる様に練習をする積りです。
昨年の練習は、酷いダンスを、踊ってしまいました。
昨年二月頃から少し踊りを変えました。私共の宿にも春、夏 の大学生の
ダンス合宿の時期を除いた時にアマチャのダンスサークルの方達が来る事があります。
その時に、ご挨拶変わりに踊る事があります。
それで考えました。アマチャの方たちに、ダンスは先ず音楽があって、“良い音楽だな”
と云う感じを踊るとこうなりますヨ、とワルツなら、スタンデイング、ポヂションから
ホウールドをして、ナチュラル、ターンだけを繰り返し、 タンゴなら、同じ様に、
スタンデイング、ポジションから、タンゴのホールドをして、ウオークだけで踊って見せて、
私に聞こえてる音楽の良さと感動を、伝えられる様な踊りが出来る様になりたいと思いました。
其れで本当の基本動作だけで音楽の良さが伝えられれば・・・・
所がです、ド壷に嵌ってしまったのです、ゆったりと軟らかな踊りに換える積りだったのですが、
考えすぎでしょう第一歩目のナチュラル、ターンがトラウマの様になってしまいしまいました
踊りの途中でもナチュラル、ターンになるとブレーキを踏んだ様になってバランスが
崩れ踊り続けられなくなりました。
一月経ち、二月過ぎ、春も終わり、夏も終わり、重症です。ナチュラル、ターンの一歩目から、
動けなくなりました。夏季合宿の最後の大学舞研が帰った次の日から、自分自身に、
痺れを切らせて、練習時間を一気に増やしました。
午前中カップルで一時間半から、二時間、午後 シャドウで一時間、一月、二月、経ち少し先が
見えてきた頃、比例する様に、少しずつ腰に痛みが出てきました。
前年の十一月に痛みの為に踊れなくなって、整形外科のドクターに練習を
控える様に言われて一日一時間にしてた訳ですから
此の練習時間では、当たり前と、言えば当たり前な話です。段々と、我慢も限界になって
十月に訪れてくれた、新潟のサークルの津原さん達が十一月の再訪の時には、
もう思う様には身体が動かず、踊って見せる事も一緒に踊る事も出来ませんでした。
行けば言われる事は、目に見えてるのだが、痛みの為に止む終えず整形のドクターを訪ねました、
ドクターは、症状を聞きながら、レントゲン写真を見て、
ドクター「無茶は駄目です壊れるだけです、ハッキリ言うと気の毒ですが、、
前にも言いましたが、年齢による骨の疲労と変形が原因ですから」
“もう身体と相談をする時期です、”
私 「其の様に言われて練習を一時間で終らせる様にしたのですが、
調子が出る頃に時間が、来てしまい、練習に、なりません」
「踊れる事も必要なので、踊りたいのですが」
ドクター「“無理です、”練習と言う意味では理解できますが、今のままでは故障するだけです」
「では、こうしましょう、練習は、一日、一時間半、週四日、間の日を身体を休める」
私{一日では増えた様だけど、全体では変わらないじゃない}
「はい分かりました。そうします」
痛み止めを出すのが嫌いなドクターから無茶はしない様に念押しされ、
痛み止めをもらいました。でも、無茶する心配は有りませんでした。
何故なら、痛みで片足に体重をかける事ができないので
踊る事が出来なかったからです、その後痛みと年末の忙しさで、
一月半踊れないままで年が終わりました
熟年ダンサーとすれば、年相応なのかなとも思うのだが、少し悔しい一年でもあった
年明、正月初踊り、驚いた事に、あれ程、苦しんでトラウマの様になってた、ナチュラルターンが軽く楽に
こなせる様に成っていた。一月半離れていたのが良かった様だ。
昨年もお見えになっていた、大西御夫妻には一月半動いていませんので、
動けませんけどと言って御一緒して、新年の初踊りをした。
少しずつ練習再開。今は昨年練習量を増やして苦しんだ分だけ
少し下地が出来たような気がする
今年は、壊れない様に、練習するゾ!
熟年ダンサー年頭の、決意