熟年ダンサーとその息子
前にも書いたのだが、私には、息子が二人います。所がこの二人私の思うようには育ちませんでした。
次男が音楽の専門学校へ行くと決めた時に、そんな音楽で、男として職業として食べてく事は、難しい
趣味と仕事は分けて考えて、趣味に留めるように説得しましたが、ギターを、抱えて出て行きました。
ギターの早弾きが出来ればプロのギターリストに為れるぐらいの認識だったのが、現実はそれ程
簡単でない事が分かって、学校が終る頃から道が見えなくなってしまい一年程元気がありませんでした。
最近新しいメンバーと組んで、オーデションの為のデモテープを作成してるらしい、
又それとは別のメンバーとも組んで、ボーカルを担当してる様な話をしている、でもバイトも不景気で
厳しくなって月に9万円位の 収入で耐乏生活をしながらバンド活動をしているようだ。
元気になったのは良いのだが、其れは其れで英語の勉強もしないで、いい加減な発音の英語の歌など
“恥ずかしいゾ”等と余計なことを気にしてしまうのだが、前に進んでるようなので良しとしよう。
長男がトウトウ早大を辞めてしまった。今のこの日本の社会で、早大卒と中退では天と地程の
違いがある。中退だけは避けて、なにをやっても良いから卒業だけはする様にと、
一年間説得したが駄目だった。正月前に帰って来て、どうしても退学の意思は変わらないと言った。
彼の選んだ選択は、もう一度専門学校へ行かせて欲しいと言う事だった。
芸術学院のミュジカル学科へ入学して、ミュウジカルダンサーとして舞台俳優になりたいらしい。
どうして私の息子達はワザワザ食って行けそうも無い道へ進みたがるのだろう。
舞台俳優をしている幼友達の食えない現状を話して、役者では食えない為に家庭内離婚状態に
なってる話まで教えているのに、二人して同じ道へ進んでしまった。
私も本人がそんなにやりたい事が有るなら仕方ないと思うのだが、
でも今は、.私の所はダンスの仕事は変わりないのだが、スキーの仕事は御客が撃滅していて
厳しい状況なので、入学資金は、正月から三月いっぱい手伝ってバイト代で払わせる事を条件に、
承諾した。実は、彼は来る前に学校の入学願書の締め切りは、過ぎてしまっていたらしいのだが、、
親を説得してくるからと学校と交渉して、一名分だけ枠を取って置いて貰って来たようだった。
下のホールで私が練習していると、鏡の前でベニヤ板を敷いた上で、ウオークマンを聞きながら
タップダンスの練習をしていた、私は腰の為に一時間の練習しかしなかったが、彼はストレッチを
含めると四時間ぐらい体を動かしていた。 もう若さには、着いていけない事を実感した。
昨日四月三日入学式だったようだ。新しい生活が始まって近日中に、正式に早大数学部に
退学届を出すらしい。とうとう中退が確定する訳で親としては今でも
、“どうして?”・・・・・どうして?卒業してからでも いいじゃない!”そう思うのですけれどネ
それに、どうして“ボウルルームダンサーでなく ミュウジカルダンサーなんでしょうネ”