真っ赤なドレスのチャレンジャー (教師時代の話)
かなり御高齢の“Oさん”という御婦人が入会しました。最初、お孫さんと一緒に、
みえましたので、お孫さんが入会するのかと思いましたが、お孫さんは心配で付き添い
で来たとの事でした。
それと言うのも“Oさん”の年齢は、75歳で、今から、25年から30年ぐらい前の75歳と言うと
、今の80歳から85歳ぐらいに、老けてる感じでしたから無理のない話でした。
少し御高齢なので心配でしたが、I先生の生徒にしました。最初の内は毎回お孫さんが、
一緒に来てましたが、“Oさん”御本人は、煩がるだけでそれよりも楽しくて仕方が無いようでした。
でも年齢的なこ事と、3サイズが、全て1メートルのような体型ですので踊りとはいえ急な運動は
お孫さんが、ハラハラするのは無理の無い事だったのです。
担当教師の I先生は、埼玉の田舎から(埼玉は田舎ではないですよ、私の本籍は大宮ですから、
“は”と “の”の違いを念の為に)修学旅行以外に都会へ 出た事が無いのではないかと、、
思われる程の朴訥な若い先生です。
大宮の鉄道学校を出て、整備技師をしていたのを、教師に転向させたので本人は真面目なのですが
融通が利きません。それで “Oさん”のレッスンも、高齢な事と体型的な事を置いておいて、本気で
出来ない事を要求したり、凄く早いクイックステップを躍らせたりしますので、お孫さんだけで無く
他の教師達もハラハラです。
段々打ち解けてから“Oさん”に{スイマセン彼は、まだ若いので無茶をさせて}と言うと
“Oさん”{嫌、構いません私からすらば可愛くて、孫に怒られてるようなものですから}
、確かに I先生が出来ない事をむきになってやらせても、“Oさん”はニコニコしていて,
応えた様子もありません。それから2年後スタジオのパーテイで“Oさん”は、真っ赤なドレスで
ワルツのデモを I先生と踊りました。
そうです 喜寿の祝いに“真っ赤なドレスでワルツを踊る”それが“Oさん”の夢だったのです、
その計画の為に、二年前に入会して準備して実行したのです。
親戚一同と他のお客様の見守る中、踊り終え、嬉しそうな“Oさん”に花束が贈られ
I先生にもお孫さんからお礼御が言われて、花束がわたされました.
I先生がそばに来て{僕なんだか感動しました}{きみが感動していてどうするの、それより
“Oさん”に、声をかけてきなさいよ、}I先生には、そう言いましたが、本当は、私も少し感動してました。
踊りは、3サイズ1メートルでご高齢ですから、歩いてるようなものでしたが、
75歳になってからの事ですから、夢の実現に二年の歳月を用意して、“やろう”と、いう
気持ちの若さそして実行した行動力、何より気持ちの若さです、
私は単純で“人生は情熱だ”みたいなところが、ありますから、
内心{ヨーシ私も幾つになっても夢に、向かってチャレンジするような歳のとり方をするぞ}と
思ったものでした。 真っ赤なドレスのチャレンジャーです 素敵でした本当に
若さ と 情熱つ と チャレンジャー精神