41話を読んで、パートナーの一言 「女は、優秀な種を、求め巣を作る」は、最近なら
「女は、種拾いに、出て、巣を作らない」この様に、書くのが本当だそうだ
ダンス と おしゃれ
最近の男達に、髪を染めピアスをしている者が大勢いる。彼等を見ていると思わず
{なんだその色?それは!、肌の色と合わないだろうが? ピアス格好良い?軽いだけだろうに!}等と
心のなかで抵抗を感じながら憤っている自分が歳を感じさせる。 よく考えれば自分も教師をしていた頃、
同じ様な事をしていたのにである。今から三十年以上も前に髪をそめていた、当時、男で髪を染める者など
いない時代にである(白髪は別)きっと今の違和感どころでは、無かったろう。
私はH先生とN先生と相談して美容室に行って、H先生はダークグーリンに、N先生は金髪に私はレッドワインに、
夫々髪を染めた。教室の中ではN先生の金髪は目立ったが、H先生と私の髪は、それ程目立たなかった。、
でも、一歩外に出て陽の光が髪に当たると鮮やかに色が浮き出るために、、交通信号程では無いが
緑 金 赤に染めた頭髪の三人が並んでると、其れ見て街の人達は怪訝そうな顔をしていた。
{きっと変人達だと思っていたのでしょうネ} ダンスの上手になる、センスの一つに、
おしゃれが有ると思います。踊っている時だけで無く、どんな時でも今どんな姿勢をしているか、
どんな格好をしているかが気になる神経が必要不可欠です。その神経がダンスを上手にします、
オシャレが必要条件である事に私は、教師になるまで気が付いていませんでした、
どちらかと言えば私は格好よりも自分の快適さが優先でしたが、教師になって直ぐ考えを変えました。
まずスタイルを、変える為に三ヶ月で10Kgの減量をして着るものも全て替える事にしました。私は本来は
おしゃれでは有りません(現在も)、子供の頃に父親の会社の作業着をもらい胸の会社のマークを削り取って
ジャンパー代わりに着るのが、私のおしゃれ感覚でしたから{自分としてそれが格好良かったのです}
綺麗な良い物を着ると言う感覚は持って居ませんでした。所が、ダンスは別でその感覚から直す必要を、
感じました。踊っている時だけでなく常に日常生活においても、今自分が如何見えるか、客観的に外から
自分を見る目と、他人に如何見えるかを知る自分が必要でした。 普段座っている時から、歩いている時、
果ては、理髪まで、ダンスの為に自分がベストのスタイルで居るか、確認出来る神経がないとダンスは
上手くなれません。それで、おしゃれをする事にしたのです。
私の生徒に、日本橋三越の外販部の主任をしている、S本木さんという女性がいました。
当時ホワイトカラーと言う言葉があった位で、ワイシャツは白が当たり前でしたので、色柄のワイシャツなど
有りませんでした。そこでS本木さんにカラーワイシャツのオーダーを出しました所、日本製の衣地に
良い色柄の衣地は無く、見本でスイス製の衣地で作る事にしました。
この時も H先生と N先生も一緒に作りました。色柄のワイシャツだけでも派手なのに、クレリットと
言うのだそうですが、襟、袖口、ボタン付けの部分を、別色にして、黄色やブルー、ピンクの色違いの
衣地で注文しました。その他に資生堂が男性用として最初に出した男性用オーデコロンと香水用の
ライター式噴霧器もつかいました。{当時 男性がオーデコロンなんて・・・ってじだいでした}
全くおしゃれに興味の無かった私ですが、する事になると持ち前のトコトンやる性格が災いして、
気が付いた時には、テーラーの衣裳代の借金が一ヶ月の給料保証の数十倍、実に、二年分以上の
金額になっていました、出入りの洋服の仕立て屋に、レッスンでベストとズボンの右側が擦り切れるので
予備を含めて、三つ揃えならぬ、五つ揃えを、季節に合わせて注文しましした、
そのほか当時一般化し始めたカラフルなゴルフウエアーの衣地に目を付けて、ハイウエスト9センチの
ズボンを作らせたりした為 ワイシャツ スーツ ズボン 全てオーダーメイドでの衣裳代は膨大で
トンデモナイ借金の額でしたが、全て真面目に働いて支払いました。三十年前の
アノ当時からすればかなりのおしゃれを、したと思います (似合ったか如何か?)元々私はそんな柄では
有りません膨大な借金ほどダンスも上手くなりませんでした
自分の若いときの事は置いておいて、やはり、アノ最近のピアスと髪の毛如何しても馴染めません
似合わないし、格好もよくないゾ 独断と偏見で言ってしまいます