情熱
夏合宿の最中に嬉しい事があった。ホウムぺジのトップにリンクしてるチキバンダンスメイトの新潟の
JROKLZさんが、私がホウムページで書いたパーテイ用のCD作りに苦労してるのを知って、見かねて
御自分のCDを、態々 差し入れに来てくれた。感謝である。一週間後に、地元のサークルの日帰りの
予約があって、作り直す時間も無く 如何し様か思案中だったのだが、おかげさまで好評だった。
JROKLZさんが来てくれて、その時に色々お話をしたが、やはり凄い凝り性の人だと、思った。
長野のクレージーのの合宿に来てた諏訪のTさんが富山の大会で優勝したことを聞いた。
暫くして此のペイジに前に書いた、練習に来てるので少しだけお手伝いしてる、喧嘩を能くする
須坂のTさん御夫妻からファクスで、品川のJCFの大会の、D級戦で四位になって、一緒に踊った、
諏訪のTさんが二位になったと知らせてきた。諏訪のTさんには、前にメールでお話を、した事があるので、
早速お祝いのメールを、送った。須坂のTさんには、D級戦では、実力は三百人出場して、百番以内位に
なれる位の実力にはなっている、と言ったのにファイナルダンサーとは、ラッキイーチャンスだったのだろうから
D級に戻らない様に相当頑張らないと難しいだろうと、秋までの練習はベーシックに戻って踊った方が良いと、
連絡を入れた。 皆 凄い 凄い である。
須坂のTさんご夫妻は益々熱があがったようで、待ちかねた様に九月十三日の大学の合宿が終って
次の日にはもう練習に来た、十四日、十六日、ニ十一日、ニ十三日と矢継ぎ早である。正に此れを、
情熱と言わずなんと言おう。でも、折角のチャンスだ、ラッキーチャンスにさせないように、
毎日ベーシックだけを、二時間も踊らせて、一寸キツイお手伝いを、した。
私も情熱と、言うと未だ多感な頃に大きく影響を受けた小説が有る。もう何十年も前の
記憶だから正確ではないかも知れないが、エイハブという船長が白鯨を海の果てまで追い続け、
最後は打ち込んだ銛のロープを体に巻きつけて、白鯨と共に海の奥深く沈んでいく話や、
四十半ばの銀行員が或る日、仕事を辞めて絵を描くといって廻りの人を振り廻し挙句
妻子も省みず、独り原色の光を求めてタヒチに渡って土着して、ひたすら絵を描く話や
武蔵が吉岡一門との一乗寺下がり松の決闘に行く途中 道の傍らの“社に”気が付き思わず立ち
止まり手を合わせようとして、ハッと気付いて「神仏は其処にあれば良い、されど我頼まず自らの道を
道を行くのみ」吉岡一門との決闘に、事にあたって、手を合わせようとした自分を恥じて己の道を行くと、
神仏に手を合わすことさえ自分の心の弱さだとして、我独り行かんと言った武蔵の話や
埼玉の郷士だった、近藤と土方が新撰組を経て、一人は天守閣に立つ事を、一人は剣に生きる夢を求め、
戦いに継ぐ戦いを重ねるのだが、刻 すでに利あらず幕府の時代は過ぎ また剣の戦いの時代の終わりを、
夢を求めて戦いを重ね最後は、一人は板橋の刑場の露と消え、一人は時代の終わりを知りながらも、
京都から福島まで戦い続けて最後は討ち死に、時代を知りながらも人生を夢に賭けた男達の話や、
此れらの小説を読んで、単純思考回路の私は、ソウダ人生“情熱だ”、
”倒れるまで、倒れるときも、前を、向いて倒れるよう 燃え尽きるまで生きよう、”私はそうやって結構
其れに近い道を歩いて来た様な気がするが、今日日は愈愈駄目かと、弱気になってる、
今までだと、今頃は、仕事の疲労も取れ順調に練習が出来る頃なのだが上手く行かない。
未だに腰痛と足の痺れが取れず踊りにならない、気力は有っても体が動かない。 と、本人は、
思ってたのだが 、先日、整形のドクターの所へ、行ってきた。その時に、どうしても我慢出来ずに
痛み止めの座薬を一月半で三回使ったが、その時に痛みが軽くなって、練習すると、その都度、
自分の意思どうりに体が、動かなかったので、痛み止めで、神経が鈍いようだ。私がそう言うと
、ドクター軽く一言「痛み止めを使ってもそんな事は、無いでしょう、そんな話は、聞いた事ないですネ」
(体が動かないのは痛み止めの所為でなく、体が痛みを恐がって、自分が動かないだけですよ)
ドクターは口では言いませんが、目でそう言ってた。
気力は有るけど体が動かない、と、思っていたのだが痛みを恐がって自分で動かないなんて、
愈愈気力も弱って来たのかと、少し弱気になっている 倒れる時は、前を向いて倒れる筈なのに
、明日に向かって一歩でなく、
後ろに向かって倒れない様に、練習してる 熟年ダンサーに、なったようだ