年月を経て (性悪女モドキに 振り回されてる様な人達)
今日長野のダンスサークルの人たちの合宿があった。夕食の時、食堂で食事をしている人達の顔を
見渡しながら、アノ人も、コノ人も皆、見知った顔ぶれで、考えると長い、お付き合いになっている。
競技ダンス指向のダンスサークルの人達で、C級を、維持してる人、C級真近い人、D級を頑張ってる人
夫々なのだが、皆十年以上まえの、ノービスの頃から、知っている。
当時、三十代の人、四十代の人、五十代の人、皆夫々、四十、五十、六十代になった訳で、皆十年の、
経験を蓄え上手になっている分、年齢も全体にあがっている。皆来年もきっと又少し上手になって
合宿に参加するのだろう、残念な事に、今年少し見知った顔ぶれで逢えなかった人達もいたが、
来年の合宿では顔を出して欲しい物だ。
皆思いは、夫々なのだろうが、次の試合こそはと、思って頑張っているのだろう、自分の思いと努力が、
自分を動かす面白さは他では味わえないですからネ!自分も今でも毎日練習していると、このホームペイジで
何回も書いたが、もう競技会に出る訳でも無いし、さりとて、社交好きでパーテイに踊りに行くのでもないが、
只、昨日よりはもう少し、今日の方が、今日よりは明日の方がもう少し踊れる様になりたい、
そう思うと練習したくなり、それで、一月が経ち二月が過ぎ、一年、二年、と過ぎて、今になっても、
明日は今日より上手くなれるだろうと、思い続けている。先週 五十八になった。益々体は動かなくなって、
自分の意思に逆らっている。最初に、プロに成ろうと思った時自分の才能の限界は理解していて、
一寸プロになってみ様かな? ぐらいで、丁度横丁のオッサンが、可愛い女の子に対して、
“自分の柄ジャーネエヤ 一寸見てるだけよ”それぐらいの筈だったのに、如何した事か未だに
抜け出せないでいる。
今思うに、逆に才能が無いからそうなのだろう、もし才能が有って今日完璧に踊れれば、
明日こそはもう少し何とか、と、思ったりしないだろう。毎日踊り終わって、パートナーと今日は、
少し面白かったとか全く動かなかった、とか話した途端にもう明日はアソコをこうして、ココをこうしてと、、
頭の中で考えている、
来月になっても、再来月になっても、秋がきても、来年になっても、明日こそはの毎日が続いて、それに
反比例して私もパートナーも、年齢から来る運動能力の低下で動けない踊りに、なって行くに違いない。
でも、悪い事に、面白いのだから、しょうがない。
悪女の深情け観たいなもので、性悪なのは解っているのだが離れられ無いみたいなもので
そもそも、明日こそは、明日こそは、と、思い続けられる事が他にあるだろうか、?
小説の題材では無いけれど、他の人から見れば愚かしい様な、性悪女に振り回される生き様も、
其れこそ一つの人生で、明日こそはと思い続けていられる、私もきっと愚かしいけど、充実した、
面白い人生なのだろう!
クレージーのサークルの合宿も十年を、越え、四十代ギリギリだったアノ人も人が六十に突入した、
食事を、しながら楽しそうに話してるのを、観ながら程度は違えど、性悪女モドキに、振り回されているに違い
そして、喜んでいるのだろう、そう思って他のメンバーを、見ればアノ人も、この人も、皆そうだ、
なにせ、サークルの名がクレージーなのだから、でも、彼等は、
食事をしている人達を見ながら、私が面白がっている事等、知る由もない。
性悪女モドキに、振り回されてる様な人達 来年再見